昭和ガメラシリーズ

アメージング・スクリーンズ アーカイブ

「昭和ガメラシリーズ」について、おっさん4人が楽しく語っているので、まずはこれを聞いていただこう。

出演:麻宮騎亜(マンガ家)、大沼弘幸(小説家)、貴日ワタリ(音楽家)、園山隆輔(デザイナー)

併映作品と共にたどる「昭和ガメラシリーズ」

 かつての日本映画は、2本立てが普通だった。

 従って、目的の映画を見に行けば、自動的にもう1本見ることになる。

 それがどんな作品だったかを知ることで、公開当時の状況もわかるし、また別の種類の映画と出会うことにもなる。

 今回は「昭和ガメラシリーズ」を同時上映作品と並べながら見ていこう。

大怪獣ガメラ

 1965年(昭和40年)11月公開。

「ゴジラ」から「ウルトラマン」へと連なる第1次怪獣ブームに乗っかるため、大映が社長・永田雅一のお声がかりで作った第1作目。

 本当に当たるかどうか自信がなかったらしく、予算の低いモノクロ映画として製作された。

 同時上映が市川雷蔵主演の「新鞍馬天狗 五条坂の決闘」だったことを見てもわかる通り、完全には「子供向けプログラム」というふうに割り切れていないようである。

市川雷蔵

 どうやら「新鞍馬天狗 五条坂の決闘」はVHSのみでDVDは発売されていないようである。

 当時の大映としては、トップスターである市川雷蔵主演の「新鞍馬天狗」のほうが格上の扱いだったろうが、その後は「ガメラシリーズ」が大映のドル箱となるのだ。

 でも、ここから市川雷蔵の「眠狂四郎」シリーズや「陸軍中野学校」シリーズへ行くのもありだ。 

大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン

 1966年(昭和41年)4月公開。

「大怪獣ガメラ」が予想以上のヒット作となり、わずか半年後に2作目が製作された。

 前作のヒットを受け、今回は予算もたっぷりと注ぎ込まれている。

 が、ヒットの理由を分析しそこねたのか、この作品は「ガメラシリーズ」の中で唯一、大人向けのドラマ展開になっている。

 注目すべきは、同時上映作品である。

「特撮映画は受ける」という手応えのもと、「大映なら時代劇だろう」ということで、特撮時代劇の「大魔神」が登場したのだ。

 現代劇の「ガメラ」と時代劇の「大魔神」の特撮映画2本立て。特撮の本家・東宝でさえ、特撮映画の2本立てはなかったから、この組み合わせは当時の子供たちを狂喜させた。 

大魔神シリーズ

「大魔神」の成功に気を良くした大映は、なんと1966年8月に三隅研次監督の「大魔神怒る」、1966年12月に森一生監督の「大魔神逆襲」と、1年間に3本の「大魔神シリーズ」を製作した。

 が、さすがにこれだけ立て続けでは、お客のほうも飽きてしまったらしく(物語にあまりバリエーションが作れなかった、という理由もありそうだ)、日本の時代劇映画史に残るこのシリーズは、たった1年で終了してしまう。

大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス

 1967年(昭和42年)3月公開。

「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」が大人向けに寄りすぎた反省から、次作の「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」では子供が中心のストーリーに戻される。

 とはいえ、高速道路の用地買収に絡む大人たちの金儲け主義を批判する物語展開や、ギャオスの造形とその残虐なキャラクター性など、映画としてのクオリティは非常に高く、この作品こそ「昭和ガメラシリーズ」の頂点だと言っても過言ではないだろう。

 同時上映は、男の子を主人公にした衣笠貞之助監督の「小さい逃亡者」。大映が「昭和ガメラシリーズ」を完全に「子供向け」として位置づけた証拠もである。

ガメラ対宇宙怪獣バイラス

 1968年(昭和43年)3月公開。

 テレビの隆盛によって、次第に低迷していく日本映画界の中で、大映もまた収益を落とし、制作予算も圧迫されていく。

「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」は、敵怪獣バイラスのデザインこそ秀逸であったものの、ストーリーは完全に子供向けとなり、前作までのフィルムを長々と流用したり、特撮セットが砂浜のみで、都市の破壊シーンがなかったりというように、予算低下の煽りをはっきりと受けた作品になってしまった。

 むしろ注目すべきは、同時上映の「妖怪百物語」だろう。

 1968年1月に放送が開始されたテレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」によって巻き起こされた妖怪ブームに影響されて作られた作品だが、水木しげるのデザインに寄せていながらもわずかに違っている(水木しげる原作ではない。逆に、映画公開に合わせて、水木しげるによってコミカライズされている)独特の妖怪デザインは、大映独自の妖怪路線を切り拓くことになった。 

妖怪大戦争

 1968年(昭和43年)12月公開。

「妖怪百物語」の好評を受けて、大映はこの妖怪路線を「ガメラシリーズ」と切り離した別シリーズとして推し進めようとした。

 そのため、前作以上に力を入れて製作されたのが「妖怪シリーズ」の最高傑作「妖怪大戦争」である。

 同時上映は、楳図かずお原作の現代ものホラー「蛇娘と白髪魔」。

妖怪大戦争(2005年)

 2005年(平成17年)8月公開。

 2002年(平成14年)に大映の権利を買収した角川によって製作されたリメイク。とは言っても、残っているのはタイトルぐらいで、内容はまったく別の作品である。

 水木しげる、荒俣宏、京極夏彦、宮部みゆきが製作に協力している。

さくや妖怪伝

 2000年(平成12年)8月公開。

 大映の「妖怪シリーズ」が大好きだった原口智生が、「妖怪シリーズ」へのリスペクトを込めて監督した作品。

 日本におけるスペシャルメイクアップの第一人者でもある原口智生は、大映妖怪の雰囲気を残しつつ、権利的に抵触しないような独自の妖怪デザインを作り上げた。

 大映の「妖怪シリーズ」の血を色濃く受け継いでいるのは、むしろ、この「さくや妖怪伝」であろう。

ガメラ対大悪獣ギロン

 1969年(昭和44年)3月公開。

「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」同様、子供向け路線、低予算路線によって製作された作品。

「ガメラ対ギャオス」であれほどの凶暴さを発揮したギャオスが、銀色に塗られ、やられ役としてあっさりと切り刻まれている姿に、このシリーズの(さらには日本映画界の)凋落を見る思いがする。

 ただ、特筆すべきは敵怪獣のギロンだろう。出刃包丁をそのまま怪獣にしたようなギロンのデザインのインパクトは、いまだにそれを越えるものがないと言えるほどに鮮烈だった。

 同時上映は「妖怪シリーズ」の第3作目「東海道お化け道中」。妖怪ものというよりは、日本映画伝統の怪談ものに近い内容で、「妖怪シリーズ」はこの作品をもって終了する。

ガメラ対大魔獣ジャイガー

 1970年(昭和45年)3月公開。

 当時の一大イベントであった「万国博覧会」に合わせ、万博会場のある大阪を舞台にガメラとジャイガーが戦うという、久々に規模の大きな作品となった。

 ただし、万博会場のミニチュアセットは作られたものの、正式なタイアップがなされなかったため、万博会場を盛大に壊すというようなシーンはない。

 体内にジャイガーの卵を産みつけられたガメラが、血を吸われて次第に透明になっていくという演出が、大映らしい生々しさを醸し出していた。

 同時上映は、特撮コメディ時代劇の「透明剣士」。

ガメラ対深海怪獣ジグラ

 1971年(昭和46年)7月公開。

 経営が逼迫していた大映と日活は、共同で映画を配給することを決め、1970年6月にダイニチ映配を立ち上げた。が、結局はうまくいかず、1971年8月に破綻する。そして、同年の12月には大映そのものが倒産してしまう。

 そのために、この「ガメラ対深海怪獣ジャイガー」が「昭和ガメラシリーズ」の最後の作品となった。

 ジグラのデザインは秀逸だが、低予算で製作されているため、特撮セットはメインの舞台となる鴨川シーワールドのみであった。

 同時上映は、リバイバル上映の「赤胴鈴之助 三つ目の鳥人」。この状況を見ても、既に併映作品を作るだけの余力がなくなっていることがわかる。

宇宙怪獣ガメラ

 1980年(昭和55年)3月公開。

 1971年の倒産後、1974年(昭和49年)に大映の権利は徳間書店に買収され、徳間グループの傘下となった。

 この「宇宙怪獣ガメラ」は、特撮シーンのほとんどが、これまでのシリーズからの流用で、内容的にも今までの「昭和ガメラシリーズ」とは異質なものとなっている。

 そのため「昭和ガメラシリーズ」と言えば、通常は「大怪獣ガメラ」から「ガメラ対深海怪獣ジグラ」をさすが、この作品も昭和の公開であるため、人によっては「昭和ガメラシリーズ」に入れることもある。

 アニメの宇宙戦艦ヤマトが登場するお遊びシーンは、徳間書店がアニメ誌の「アニメージュ」を発行していることから可能になったものであろう。

 同時上映は、アニメの「鉄腕アトム 地球防衛隊」。