きまぐれオレンジ☆ロード

春日太一

販売元: 東宝
販売元: 東宝

 1980年代半ば、自分の少年期は『週刊少年ジャンプ』と共に過ごした。

 その中で異彩を放っていたのが、まつもと泉による『きまぐれオレンジ☆ロード』だった。バトル系とギャグ系ばかりだった当時の『ジャンプ』にあって、中学生男女の三角関係を軸にしたラブコメである本作は、小学生の自分には真新しく映った。というより、その三角関係の中心にいる男の名字が「春日」なのが嬉しかった。

 しかも、ヒロインの〈鮎川まどか〉は主人公のことを「春日くん」と呼ぶのだ。これが主人公の下の名前「恭介」で読んでいたら、これほどハマらなかったかもしれない。〈鮎川まどか〉が「春日くん」という呼称を選択したことで、主人公を介して自分自身が〈鮎川まどか〉から声をかけられているような気になっていた。そして、〈鮎川まどか〉が自分の好きなタイプのド真ん中だったことも重なり、もうドップリとその世界に浸りきることになってしまう。実際の恋愛を知らない身には、それはまさに「初恋」だった。もちろん、当時の同級生たちにはそのようなことは一切言わず、『ついでにとんちんかん』や『北斗の拳』の話ばかりしていたが。

 その後、しばらくして『きまぐれオレンジ☆ロード』がテレビアニメ化されるという報せを聞いた時は、大いに興奮した。「ついに〈鮎川まどか〉が画面の向こうから『春日くん』と本当に呼びかけてくる!」

 そして、鶴ひろみさんの演じる〈鮎川まどか〉の声は、原作を読みながら妄想していたそれを遥かにしのぐものだった。普通に呼びかける時は、理知的で少し大人びた「春日くん」。これを軸にさまざまな応用編が繰り出される。遠くから元気よく笑顔で呼びかける「春日く~~ん!」、主人公がたまに良いこと言った際に感心する「春日くん……」、本気で怒った時の「春日くん!」、スネたフリをしたり諭そうとしたりする時の「春日くんっ」。そして。二人きりになって見つめ合った時の「春日……くん……」。

 感情によって音階を自在に使い分ける優しくて艶やかな「春日くん」の波状攻撃に、画面の前に座り込む思春期に入りたての「もう一人の春日くん」の心は、もう完全にメロメロになっていた。今で言うところの「萌え死ぬ」というヤツだ。現実の生活は途方もなく暗かった当時の自分にとって、あの〈スタジオぴえろ〉特有のパステルカラーの世界にたたずむ〈鮎川まどか〉から発せられる、鶴さんの「春日くん」の響きは人生の数少ないうるおいだった。

 たしか今から15年ほど前だろうか。恋愛シミレーションゲーム『ときめきメモリアル』で、(それがどのバージョンからだったかは忘れてしまったが)「画面の中のヒロインが、自分の打ち込んだ名前を音声で実際に呼んでくれる機能」が追加された。それまでは、名前の個所は無音になって飛ばされていただけに、画面の中の世界との距離はより一層近いものになった。

 当然のごとく、自分も「かすが」と打ち込んだ。が、興奮する周囲の様子に反して、自分自身は全くもってハマれなかった。なぜなら、彼女たちの発する「春日くん」の響きは、立ちはだかる強大な壁に簡単に弾き飛ばされてしまったからだ。

 ようは、自分は『ときメモ』登場より10年近くまえに、その感覚を、しかも最高の形で味わってしまっていたのだ。「鶴ひろみの〈鮎川まどか〉」の「春日くん」を知ってしまった身は、他の「春日くん」では満足できなくなってしまっていた。

 それは二次元に限った話ではない。

 今まで付き合ってきた女性に関して、自分は「春日くん」と呼ばせてしまっているのである。だが残念なことに、誰一人として「鶴ひろみの〈鮎川まどか〉」による「春日くん」の足元にも及ばなかった。ひょっとしたら、それが女性との付き合いが長続きしない大きな要因になっているのかもしれない、と最近では本気で思い始めている。

 それでも今後も、付き合う女性に「春日くん」と呼ばせそうな気がする。

作品データ

【スタッフ】原作:まつもと泉 監督:小林治 シリーズ構成 - 寺田憲史 総作画監督:後藤真砂子 キャラクターデザイン:高田明美

【キャスト】春日恭介:古谷徹 鮎川まどか:鶴ひろみ 檜山ひかる:原えりこ 春日まなみ:富沢美智恵 春日くるみ:本多知恵子

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著者プロフィール

春日太一(かすがたいち)

 1977年生まれ、東京都出身。日本大学大学院博士後期課程を修了し、芸術学の博士号を取得。博士論文のテーマは「1970年代の京都撮影所における時代劇製作の諸相」。著書には「天才 勝新太郎」「時代劇は死なず!―京都太秦の「職人」たち」等がある。